8. 許し合う・何か変・後先逆

 何か悪いことをしたり、人を傷つけたり被害者を作ってしまうような、大きな過失をした時など、また双方の考え方が違ったり、行き過ぎた討論になったりしたときなど、人はよく『寛大な心をもって許してあげたら良いんじゃないの?』とか、許し合うことが真の優しさのように思っている方がたくさんおられます。
 しかし、罪を憎むことより、それを許す寛大な心の方が実は楽だし、いい加減なことなのです。なぜなら、その場合、悪も減らないし罪を償わせることもできないし、悪いことをした人が更生するチャンスすらなくすことにもなるのです。
 ましてや、許すとは言葉を変えると、許可するという意味になります。許可は先に与えるものであり、後から与えるものではありません。許し合うということは、許可し合うということになってしまいます。そんな権利がどこにあるのでしょうか? やはりどう考えても、後から許可するというのは逆に思えます。
 許可された事柄は、やっても良いということになり、反省させることはできなくなってしまいます。なにか許すという言葉を安易に使われすぎ、悪を野放しにしてはいませんか? せっかくの更生できるチャンスを潰させてはいませんか?
 本来ならば許すのではなく、勇気を持って注意し、それがいけない事であることを分かってもらうことの方が、よほど大切だと思います。勇気がないから、面倒くさいから、注意をして逆恨みされたくないから、見て見ぬふりをしたり、顔をそむけて通り過ぎたり、安易にそれを許したり、今そんな時代が目の前にあることを大変残念に思います。
 勇気を持って罪を罪と認め、それを無くすようみんなで努力していけたら素晴らしい世界が広がる可能性は大きいのです。許し合うことが、美しい出来事ではありません。分かり合うのと勘違いしていませんか? 理解することと、許すことは違います。しかし、そこに被害者がいなければ別ですが、人の心は矛盾だらけです。それも人間です。許し合うことも必要なのでしょう。
 お互いの関係が特別の場合は優しさの方が大事ですから。