14. 自由と身勝手、そして暴走

 誰もが自由を求め、できるだけ自由であることを願い、できるだけ束縛されたくないと思っているはずです。常識の枠、世間の枠、道徳心や法律など自由を失わせると思われる事柄が余りにも多いと感じているからです。よく『私には全く自由がないわ』などと言う人がいますが、果たしてそうなのでしょうか?
 毎日毎日生きていることは、全て自分が決め、どんな束縛の中でも決定し位置付けているのです。あくまで自由の意思の下で決断している行為となります。
 自分が決めた人生のプログラムの中で、自由は存在します。世間の常識や観念から外れて歩こうとすると、そこには必ず責任という言葉が付きまといます。
 もし自分ですべての責任を取れれば良いのですが、そうではなく第三者がいたならば、そしてその人から見たらそれが迷惑な行為であったならば、身勝手な自由として判断せざるをえません。
 そんな行為があちこちに見られ、みな口をそろえ『俺たちの勝手だろ』『指図される覚えはない』こんな形で身勝手で自分勝手な自由をエンジョイしています。
 身勝手かそうでないかを決める判断は、できない場合もたくさんありますが、少なくとも、反発する心は(たとえば親に対して、また、世間に対して)自由ではなく、身勝手と表現した方が良いかと思います。
 自分が決めた人生の途中で、たくさんの自由があるはずなのに、それを自由と認識できず、その中で自由を求めて暴走を始めてしまうのです。
 そして、自分の中に正当性を求める理論を確立させ、自分に正しいのだと言い聞かせながら坂道を転がり落ちていくのです。一度立ち止まり、振り返り、今の自分を見つめてみたら気がつくことも思い当たることもあるのではないでしょうか。
 勇気を持って一度立ち止まってみませんか。
 正しいと思うことも、実は間違っていることもあるのです。知らず知らずの内に、自分を自分で洗脳し、堕ちていくのです。