18. 愛とは受ける側に起こる現象

 愛という言葉があちこちでよく使われておりますが、情や情けや思いやりや優しさなどを含んだ状態でよく使われております。愛情をかけるとか、人を愛するとか、愛を持って接するとか、おおらかな心で愛をそそぐとか、発する側の行為として思われることが多々ありますが、実はその大半は情であり、慈悲であり、思いやりの部分が大きいのです。
 しかし、それを受ける側は愛として常に受け取ることができるのです。なぜならば、発する側にはエネルギーが必要なのです。受け取る側は、それをただ受け取り、自分の意識に反映させるだけで、心の大いなる変化を感じることができるのです。
 たとえば、きれいな花束を頂いたとしましょう。「わ、すごく愛を感じるわ」「なんてきれいなんだろう」と思ったとしましょう。でも、花がきれいに咲くのは、子孫繁栄を目的とし、精一杯生きているから。私たちから見たら、とてもけなげで美しく思えるのですが、花が私たちに愛を送っているわけではないのです。あくまで、私たちの心の中で、その愛は生まれるものなのです。人の優しさや、温もりや、暖かい行為を受けた時、大いなる愛を感じるはずです。
 そう、愛は受ける側の権利であり、受ける側に起こる現象なのです。発する側は、情でも情けでも思いやりでも何でもいいのです。その中に、心を和ませる美しく、温まるものがあるならば、それにこだわる必要はないのです。
 「大きな愛で包んであげましょう」という言葉がありますが、それを具体化したならば、優しさや温もりで和ませることが必要となってきます。
 そして、包まれる側が愛と認識し、それを温かく受け入れるのです。よって、あくまで受ける側に起こる現象と言えるかもしれません。そんな風に考えながら、愛の定義をもう一度考えてみたらいかがでしょうか。けして情けをかけることが悪いことではないのです。情で良いんです。
 穏やかな和みの世界を築くためにも、勇気が必要なのです。