25. テーブルの上のリンゴ

 誰も座っていないテーブルの上に、リンゴが1つ置かれています。とても美味しそうで、食べてほしいとささやいているようにも見える、赤くてきれいなリンゴです。
 そのリンゴを見たとき、欲望が生まれ、解決方法を心の中で考え出すのです。このリンゴはもう持ち主がないんだ。誰かが忘れて行ってしまったんだ。きっと取りに帰ってはこない。だから、貰っちゃおう。これはきっと、神の恵みなのだ。私に食べてもらいたいから、ここにあるのだ。きっとそうに違いない。なんて私は幸運なんだろう。そして、そのリンゴを手に取り、ちょっと後ろめたいため、少し遠くに離れてから食べ始めるのです。
 はたしてこの考え方は正しいのでしょうか。これがリンゴだからまだ、さほど大きな罪にはなりませんが、もしリンゴ以外のものだったらどうでしょう。そう考えると、大変恐ろしい自分の中の悪を容認させるための心の叫びではないでしょうか。
 こんな風に自分を納得させ、犯罪は行われるのです。犯罪者は常に自分の心の中で、それは正しいことなのだと置き換え、自己暗示にかけ実行へと突き進んでしまうのです。
 なんて身勝手な考え方なのだろうと思いませんか。これが罪を犯す人の自己を容認させるための法則なのです。
 また、テーブルの上のリンゴを持ち去るのを見た人が、リンゴぐらいだから良いだろうとそれを盗もうと人を許してしまうことがよくあります。なぜ、その犯罪を目の前にしながら、それを許してしまうのでしょうか。リンゴでなかったら大変なことなのに、注意するのが怖いから、注意したら何か言われるのではないかという恐怖から、逃げてしまう場合もあるのです。しかたがないことかもしれませんが、こんなことからこの世の中に多くの悪が生まれてきたのです。
 はじめは、ほんのささいな出来事から始まるのです。そして、それにマヒした心が、正当性をもとめエスカレートしていくのです。たとえば、リンゴでなく約束した時間を守らない人がいたとしても、それはその人の癖だから仕方がないのよ、と言ってしまったならば、その人は時間を守らなくても注意されないんだと思い込んでしまう。本当に始まりはそんな小さなことから、起こるのです。
 ちょっと注意することだけで、小さな事ではお互いに傷つくことがないのに、それを見逃してしまうだけで、もう二度と注意をできない関係になってしまうのです。
 ほんのちょっとだけ勇気を持って、注意をしてあげられたならば、もっと良い関係が保てるはずなのです。未来の地球では、約束を破る人は住んでいません。