40. 兎が一匹 感謝の心

 現代人の私たちは、欲望が大きすぎて常に不安を感じ、その為、未来の備えとして満足感を得ようとしています。でも、その満足には限りがなく、次から次へと欲望が生まれてくるのです。いつまでたっても同じことの繰り返しで、満たされることはありません。
 縄文時代以前の倭民族は、今ある自然の中だけで物事を考え、想像の中から物を作り上げようとしなかったのです。わかりやすく言うと、科学を容認しなかったのです。だから同じ石器を何万年も使い、同じ生活を何万年も繰り返してきたのです。能力がなくて現在のような文明文化を作り上げなかったわけではないのです。目の前にある自然以外は、使わないと決めたからです。彼らの意識は欲望ではなく、常に感謝の気持ちで物事を行いました。狩りに行き、もし兎が一匹しか取れなかったとしても、それに深く感謝し、村人たち全員で平等に分けたのです。次の日もし、兎が全く取れなかったとしても、そこを責めたりしませんでした。それどころか、兎たちの命が一日永らえたことに感謝し、兎の気持ちになって、よかったなと思うことができたのです。
 自分たちからの考えだけでは、そうは思えないのに、全ての意識を平等に置くことにより、兎の気持ちにもなれるのです。そして、何匹もの兎が取れた時は、神に感謝し、自然に感謝し、この兎たちが粗末に扱われることもなく、自然の恵みとし、そして命を共有し、未来へと生き続けてきたのです。目の前に起こる全ての現象を、ありのまま受け入れ、決してそれ以上望まないのです。だからこそ、この大自然が、この地球に残り、今私たちがその恩恵にあずかることができるのです。
 今一度、当時の彼らのように、私たちも生きてみてはいかがでしょうか。必ず大いなる満足が存在するはずです。必要以上に望むことはありません。目の前に起こった現象をそして与えられたものをそのまま受け入れれば良いだけのことなのです。