59. 人間はもう何もしなくても良い?

 20世紀、21世紀と時代は大きく変化してきました。豊かさと便利さが限界を超え、全てがそこにあるように感じられます。必要なものすべてが手に入った時、人間は何を思い、何を感じるのでしょうか。
 そして今、その時がやってきています。欲しいものは、何も無い。これが食べたいというものもない。こんな服を着たいという望みもすぐに叶ってしまう。今の日本人は、全てお金でものが買えると信じ、そしてそのように生活しています。あまりにも、たやすくいろいろなものが手に入ってしまうのです。
 しかしその反面、無くしたものも大きいはずなのです。その事にまだ私たちは気づいていません。望みがかなう喜びがその嬉しさが半減どころか、無くなってしまっています。欲しいものが手に入った時の、待ちに待った喜びがあまりにも薄れていってしまっているのです。
 人間関係においてもそうです。大切な友達をモノのように扱い、薄っぺらな友情で包みこんでしまう場合があるのです。本来もっと、大切に思わなければならない人間関係が、たやすく手に入るもののごとく考えてしまうことがあるのです。
 こんなことになるならば、こんなに自然が破壊されてしまうならば、あの縄文時代の長かった月日のように、逆に、人間は何もしなかった方がよかったのではなかったのでしょうか。あの時の方が、心も豊かだったし、自然も豊かだったし、人々は誇りを持って暮らしていたはずです。争いもなく、目の前に起こる現象をすべて受け入れ、欲もなく、穏やかな毎日が繰り広げられていたことでしょう。
 そんな時代の記憶が、まだ、私たちの遺伝子には残っているのです。倭民族だからこそ、もう一度その意識を取り戻し、神が造ったこの日本で、桜が咲いたら田植えをし、雨が降ったら豆をまき、五穀豊穣を祈り、そんな中で暮らした日々の想いが、今ここに蘇ります。本当に、何もしなかった方がよかったのかもしれませんね。