66. 信じるために嘘をつく

 生きていく上で、必ず、他人系・身内系・友人系などの系列を持った人間関係が存在します。その種の、人間関係を常に繕い平常心を失わないように私たちは生き続けています。なにげない、毎日の出来事にすぎません。その中で、私たちは常に嘘をつかなければいけない現状が現れます。逆に言うと、真実を伝えることができにくい条件が交差するのです。お世辞を言ったり、心にもないことで相手を労わったり、そうすることが、優しさであったり、親切だったり、あまりにも当たり前すぎる、嘘の連続の中で、繕いながら人間関係を保っているのです。
 もしみんなが、本気で、本音で、言葉を交わしたならば、うまくいっていた関係も壊れてしまうことがあるかもしれません。
 しかし時には本気で、本音で意見を言い合うことができたら、それは素晴らしいことなのですが、話し合いは常にどちらかが譲歩することにより成り立つという原理と、新しい提案を両者が受け入れるかの二種類が主に存在します。
 自分の意見を通そうとした時、それが通らなければ、話し合いになりません。どちらかが自分の意見を覆すしかないのです。しかし、そこをうまく繕う方法が、嘘をつくことなのです。その人との信頼関係を失わないためにも、人を信じつづけるためにも、嘘で繕うことが好ましい現実が存在しています。あからさまな嘘であっても、それは、和みの時間を与える法則の様なものとして存在しています。
 信じあいの中には、そうした方法をとるのが一番たやすいことなのです。信じるために嘘をつく。信じてもらうために、嘘をつくのが、当たり前すぎる普通のことですが、信じるために嘘をつかなければならない現実は、あまりにも悲しすぎると思います。