67. 諦めるという満足

 自分の想いを叶えようとする時、私たちは意識をそこに集中させ、現実と想いを融合させるために、その結果へと物事を運びます。そして、その願いが叶うと非常に大きな喜びととともに、心の開放がそこにはあります。嬉しいとか、幸せとか。大いなる満足感が得られることに心はその動揺を表現していくのです。
 例えば、欲しかったものが手に入ったり、見たかった映画が見れたり、行きたかったところに行けたり、会いたかった人に会えたり、たくさんの喜びの中で私たちは生きています。
 しかし、それらがすべて叶うわけではありません。無理難題の定義の中で、叶わないことがたくさん現実化します。それでも、何らかの形で心を納得させ、最低限度の満足を得ようとします。そうしないと、心がすさみ、生きる現実を見失うことになってしまいます。
 否定的な考え方で、諦めるという言葉を使用したのではなく、肯定的な方向性の中で諦めるという言葉を使用することの方がはるかに多いのです。
 最低限度の満足感は、諦めることによって発生します。欲しいものが手に入らなくても、それは本当は自分には必要ではなかったのだと自分に言い聞かせ、会いたい人と会えなかったとしても、今はその時期ではなかったんだと自分に言い聞かせ、現実の中でそれを確定し、心に反映させます。
 それは決して、悲観的な考え方ではなく、生きていく上で必要不可欠な法則なのです。そして人間にはもう一つ、忘れてしまうという考え方に対する、特異性を持っています。これも生きる上で大変素晴らしい現実的行為なのです。
 忘れることができるから、悲しい出来事や辛い出来事、柔らかく包み込んでくれるのです。過ぎ去る時間の中で、それは容易に現実化し、私たちを和ませてくれます。
 人間は常に満足し、生き続けていることが心を傷つけない唯一の法則なのです。