96. 幽体離脱

私達人間を、一つの集合体と考えたならば、肉体と、その肉体に関わる霊体と、そして魂、この3つに分けられます。
幽体離脱という言葉がありますが、この時どの様な現象が起こるのか、その未知との遭遇の中で、私達は想像を超える出来事に常に出会いながらも、意識していないために確認することが出来ない、現実と非現実の中で、条件が錯綜する中、多くの情報と物質との関わりと、意識がどう関与するかにより、そこを理解しようとすると難しく、また経験は逆に誤作動すら起こすことにもなりかねません。

実は、私達は思考意識の中で、毎日幽体離脱しています。
それも日常茶飯事の中で、瞬間的に行われている行為なのです。
もっとわかりやすく言うと、どこかにいきたいなと思い、写真を見たとしましょう。
そしてその写真の中に自分の思いを飛ばしたり、想像が現実を超えたとき、霊的には一部の意識が幽体離脱を起こしていることに、まだ私達は認識していないのが現状なのです。
記憶をたどったりするだけでも、いくらでも過去に行けます。
想像するだけでも、その未来に、自分は行けているのです。
ただ意識の中で描いた空想の世界かもしれませんが、電子的レベルでそれを理解しようとしたならば、もっとわかりやすくいうと、今生きているこの社会が全て、バーチャルであり、情報の共有化により作られた社会ならば、そこにある物質は全て電子の集合体であり、その情報の塊が魂という言い方さえ出来てくるのです。
現実を物質と情報という世界で理解しようとしたならば、幽体離脱という言葉も、情報の物質におけるフェードインとフェードアウトの繰り返しに過ぎないのです。
そこに時間が関与してきて、過去と未来という形になりますが、情報とプログラムの中には、その時間的な観念は取り除かれていきます。
要するに、私達は常に、自由な発想の中で、肉体から離れた世界で、生き続けているのです。

肉体という物質は、時間と距離をたやすく超えることはできません。
しかしながら意識や思いは、その問題をいとも簡単にクリアしているのです。
幽体離脱、何か霊体が抜け出して空っぽになってしまうような考え方をしていて、肉体に戻れなくなったらというような恐怖が存在していますが、全ての物質は電子・陽子・中性子から成り立ち、元素レベルの中ではそういった物質に関わる情報とまたそこにエネルギーとが存在し、うまく絡み合いながら、現実という社会を作り上げていますが、あくまでもこれは情報とエネルギーの物質化現象に過ぎないのです。
そこで形成された物質に、水が関わり、生命という形で一つの集合体を作ってきていますが、これはあくまでもプログラムが遂行された結果の出来事に過ぎないのです。
私達は常に幽体離脱し、そして時間と距離を超越した上で、その記憶をこの三次元で有効活用することが出来るのです。いつも日常生活の中で繰り返される出来事の中に、常に存在しているのが、こういった出来事なのです。
しかしながらここに、魂という存在が大きく関わってきます。
肉体と霊体、この二つを結び付けているのが、魂なのです。
故に、神が人間を作ったといわれる所以(ゆえん)がここにあるのです。
では魂とは何か。
神から与えられたこの魂は、どういう形で構成され、それは何を意味するのか、非常に難しい問題が存在してきますが、実は魂と密接に関わっている、ある種の生命体が存在します。
かつて紅色菌といわれた、ミトコンドリアなのです。
私達は、一つの肉体であっても、一つの生命体ではないのです。
何千何億もの命が関わりながら、存在しているのです。
だからこそ、この宇宙で生き続けていく生命体として、君臨しなければいけないのです。